Encampmentの街でゼロデーを過ごした。
この街にはEncampmentの街についてのミュージアムがあった。
ちなみにEncampmentという街とRiversideという街が隣り合わせにあり、どちらも小さい。
泊まってるのはEncampmentだが、買い物はRiversideにコンビニがあるだけ。歩いて1マイルくらいの距離にある。
さて、ミュージアムだ。
あるなら行かなければ!と表示に従って向かう。
その前に図書館に寄った。
Encampmentの歴史について書かれた本。
せっかくなので、最初にこの街の変遷をざっくりと表現すると
①古代ネイティブインディアンの狩猟時代。
②毛皮と毛皮商人達の交流の時代。
③移住者による牧場の開始。
④鉱山の時代
⑤過疎化した現在
おそらくアメリカの田舎町は同じような歴史を歩んでる。
主要都市はここに工業や観光などが絡んでくる。
①古代ネイティブインディアンの狩猟時代。
19世紀より前の時代、この地域にはPaleo-Indians(古代ネイティブインディアン)が狩猟民族として移動しながら住んでいた地域だ。アメリカ大陸に移住者が来る前のこと。
②毛皮と毛皮商人達の交流の時代。
その後、19世紀には毛皮を集める人たちと、その毛皮を他の地域へと売る人達が入ってきた。その人たちにとって水場のある街が交流のポイントとなった。
さらにゴールドラッシュの始まる1849年以降、水場のあるこの街は大きなキャンプ地として移民達が通ったようだ。
Trailが出来ることで、さらに多くの人が来ることになった。
③移住者による牧場の開始。
1879年頃、最初の移住者が牧場を作る。
高地のため冬は雪に覆われるので、牧草を育てる必要もあった。
定住者が出来たことで、正式にGrand Encampmentという街になったのが1897年。
④鉱山の時代
1900年代になり、鉱山ブームが各地で起き、Encampmentでは銅の採掘が始まる。
19マイルに及ぶケーブルができたりするが、長くは続かない。
だが、多くの入植者があった時代だ。
⑤過疎化した現在
過疎化は進行してるが、少しの観光化や牧場などの街だ。
Grand Encampment Museumに着く。
何と月曜は定休日だ。しかし、建物を見て回ることは出来た。
これは、EncampmentとFerris-Haggerty Mineを結んだケーブルカーのようなもの。1902年に建設が始まり、10ヶ月で完成した。
鉱石の場所はEncampmentより高い場所にあり、鉱石の重さが動力の一部になったようだが、蒸気動力も使い時速4マイルで運ばれたとのことだ。
精錬所はEncampmentと隣町Riversideの間のEncampment川にあった。
これが地図。ケーブルはContinental Divide Trailを越えた方まで延びていた。
当時のトイレだが、二階建ての不思議な建物。
冬は雪が深い。二階建て構造にしておけば冬は二階を使えるとのこと。なかなか見ないトイレだ。
Wolfard Schoolhouseは1895年頃に建てられた学校。
もともとは、野営地から約1マイルのところにあったものを 1986年にこの博物館に移された。
カンザス州で学位を取りカンザス大学で教えていたMr.William Henry Wolfordが結婚後4人の子供と共に移住してくる。
その理由は健康状態が良くなくて、西部の気候が良いと医者に勧められたから。
1886年に移住した彼は、学校のないこの場所で自分の子供に教えるため、自分の所有地に学校を建てたのが始まり。
その後、隣人たちの子供が集まり正式な学校になる。
これは井戸。なんか複雑に見えるのは?
Saratoga&Encampment(S&E)Railway Co.は、Walcott JunctionとEncampment製錬所を結び銅を運搬するために設立された。
しかし、会社と銅産業の財政的問題により、鉄道の建設に3年かかり、建設されてから2か月後に製錬所は永久に閉鎖されてしまう。
列車は1912年まで運行される。
Ed Parkisonは成長してるEncampmentに注目して、店舗運営、賃貸、牧場を含むビジネスを始める。
この街に引っ越すときに、妻を説得するために近代的な家を提供した。
この街で最初に電気と水道を備えた家だ。
室内の様子。
街があれば酒場も出来る。
銅で栄えた時代には16もの酒場があったとのことだ。
この持ち主はGeorge Kuntzmanで1900年に建設されたもの。
店内の様子。
Palace Bakery&Ice Cream Shop。
1900年頃にMr.&Mrs. Kaufmanによって建設され、もともと所有および運営されていた。
洒落た馬車。
1876年にダコタ準州Deadwoodでウィリアム 'ワイルドビル'ヒコックを撃ち殺したジャックマッコールの裁判の裁判官で有名な裁判官W.L. Kuykendallが短期間住んでいたという小屋。
アメリカのドラマ「Deadwood」は渋くて面白かったのを思い出す。
これは丸太小屋作りの実演用のようだ。
1898年から1908年の10年間に1400000ドルの銅が生産されたと書かれてる。それにしても、短い期間だ。
ケーブルが運営した期間も短い。
(1902〜1908)
ミュージアムを見た後歩いてたら倉庫の奥に動くものが・・
鹿がのんびり休んでた。
これは立ち寄ったコーヒーショップ。
How you bean?
落ち着く店内。意外と美味しかったコーヒー。
コーヒーは2ドル+チップ。
アメリカに来てから、セブンイレブンなどコンビニの100円コーヒーのパフォーマンスの良さに気づく。
明日からトレイルに復帰して、次回はコロラド州からのブログとなる。