こんにちはマヨジーです。
蒸し暑さの続く山陽道を歩くマヨ坊(マヨジーの若かりし頃)は気持ち的にはパッとしなかった。
さて今回は持って行った荷物の話から始めよう。
1980年6月25日に撮った荷物の写真だ。
- ダンロップ1人用テント2100g
- コールマンピーク1(ガソリン満タン) 1220g
- 夏用ダクロンシュラフ 750g(化繊の中綿の寝袋)
- オーロンフリースジャケット 720g(ここ頃では珍しいフリースだが毛玉ができやすかった。)
- ハイパロン雨具 460g(ゴアテックスとは違って浸透性が無かった)
- コッフェル&スプーン 470g(チタンが無かった時代なのでアルミ)
- アルミ水筒 240g
- ポリタンク 160g
- 石鹸 100g(これで洗濯、洗面すべてをこなした)
- ラジオ 190g
- カメラ 570g(今ならスマホがあるから持たない、しかも重い)
- 時計 60g(これは目覚ましなので腕時計とは違う)
- ライター2個 40g
- タオル2枚 130g
- ザックカバー 120g
- ガソリン ジグボトルに満タン 850g
- 懐中電灯 80g
- ジョギングパンツ 2枚 260g
- ズボン 350g
- Tシャツ 2枚 340g
- 靴下 4足 370g
- 下着2枚 120g
- 細いロープ 60g(洗濯物干したりと便利だった。)
- 布バケツ 185g(洗濯するときに使った)
- サンダル 350g
- 洗面具 300g
- 地図 230g(地図は国土地理院の20万分の1の地図を使用)
- ティッシュ 100g
- 傘 230g
- 蚊取り線香 70g
- センタクバサミ 20g
- 膝用サポーター 20g
- リペアキット 20g
- 筆記具(ノート・ペン)280g
- スリーピングマット 300g
- 食料(米、調味料、味噌汁、ふりかけ、梅干しなど)約2.5㎏
- ザック(ケルティ タイオガⅡ)1900g
以上で約16㎏くらい。
それ以外にも水や靴や途中で捨てたものもあるので多い時で約20㎏くらいは持っていたと思う。
今なら半分くらいに軽量化できると思う。
テントも今の時代なら自立式でも1㎏くらいのものがある。
寝袋はダクロンという化繊を使った寝袋だった。これも軽くできる。
ほとんど全てのものが今なら軽量化可能だ。
ウルトラライト(UL)という言葉が無かった時代だ。
繊維や金属の進歩は歩く人にとってはうれしい。
登山ブームの陰には素材革命があるのかもしれない。
マヨ坊の歩きに戻ろう。
6月25日(水)
6時前には歩き出す。
7時20分八本松駅
多くの人がいた。大きなリュックを背負うマヨ坊は特に注目されない。
9時15分西条駅
10時40分西高屋駅
蒸してる中を歩くのはつらい。
体がだるくなる。
背負っているバックパック Keltyタイオガ のウエストベルトのあたる腰の部分が痛くなってきた。長く歩くということはこういうこどだと実感する。
日頃は気にしない多少の負担が継続することによって、負荷がかかってくる。それが痛みとして表れてくる。
雨が降り始めてきた。
洗濯した衣類は乾かないし、雨は負担が増す。
午後は少し歩いてから休養とした。
パッとしない天気の中を歩き続けると体に負担がかかるようだ。
6月26日(木)
5時半前に歩き出す。
8時25分観音寺
歩くスピードが遅いが前に進んでいる。
しかも途中道を間違えながら進んできた。
10時12分本郷町
曇り時々雨の中の歩きだ。
13時57分三原駅
15時22分糸崎駅
途中、米を購入したが1kg当たり500円と高かった。
(日本縦断中に購入した米は1㎏300円台が多かった)
少量入りの袋では売っていなかった時代だ。だから、お米屋さんの良心に従うしかない。
近くの天満宮に移動して泊まることとした。
雨が鬱陶しい。
6月27日(金)
7時32分尾道を通過して
尾道駅のスタンプ。手帳に押していったので下にその時の記録が読み取れる。
この日は4時50分起床だったとわかる。洗濯も乾いて嬉しかったマヨ坊だ。
10時に松永駅
11時に備後赤城駅
15時37分大門駅
途中、バイクパッカー(自転車)とすれ違い挨拶をする。
急に日差しも出て、暑さが爆発した。汗まみれで歩く。
16時45分
岡山に入ったところの天満宮。
加藤六月(政治家)の献燈があった。そして選挙合格を願った垂れ幕がある。
苦しい時の神頼みみたいなものなのか?
マヨ坊も神頼みが必要か。
本州に入ってからは、梅雨空の下、ひたすら蒸し暑さの中を歩く日々が続いている。
今、振り返ってみると、山口県を過ぎてからが辛かった時期かもしれない。
おわり