マヨジーが行く

マヨジーが行く

マヨネーズ好きのじいさんが体験したことをあれやこれやと記録します。

日本縦断その1 最南端佐多岬に向かう

 

こんにちは

マヨジーです。

 

 

この話ははるか昔のこと、マヨジーが20代のころの話だ。

だから登場人物はマヨジーと表現するには若すぎる。

そこで、日本縦断の話に出てくるマヨジーはマヨ坊と名づけることにした。

最近のことでさえ忘れてしまうマヨジーの古い記憶なので不確かな部分もある。

いや、年寄りは昔のことばかり覚えているものだ。

 

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KELTY タイオガ

 

金はないけど時間があった学生時代だ。ゼミの先生にゼミを欠席することになるとお願いしたら、気持ちよくOKしてくれた。今でも感謝している。

そして、学校で出している新聞に載せてくれないかと出発前に広報課にお願いにいったら、学生が学業をしなければならない6月から行くのを載せるわけにはいかないと言われた。

そうだマヨ坊は時間がある自由人ではなく、単に授業をサボってた学生だったのだ。そのことを忘れてた。

 

出発の前日、床屋に行きスポーツ刈にしてもらう。長髪ともお別れだ。

歩きとおせるだろうかという不安、家を離れて一人旅する寂しさ、そして未知の出来事に希望がミックスした感じだ。

夜は母が寿司をとってくれた。テレビでは具志堅の12度目の試合をやっていた。

この頃の具志堅はタレントでは無い、強いプロボクサーだ。

 

1980年6月2日、母の作ったお弁当を持ってマヨ坊は九州最南端に向かった。

ザックの中に植村直己の「青春を山にかけて」をい入れて。

 

 

自宅を出て、私鉄線から乗り継ぎ品川駅に着いた。

今なら東京から新幹線だろうが、その時は学生の身分だし節約もことも考え、普通電車を乗り継いで新大阪に向かった。

 

品川6時34分→沼津で乗り換え→浜松で乗り換え→大垣で乗り換え→米原で乗り換え→新大阪15時53分着。

そこから17時55分発の寝台特急明星1号。走り出してから母の作った夕飯分のお弁当を食べた。

西鹿児島に着いたのが8時36分。乗り継いで指宿枕崎線に乗ると異国だった。

まわりの人の会話が全然わからない。

窓枠の外側にはホコリが積もっている。と思ったら桜島の噴煙の影響だった。

 

 11時50分、国鉄(今はJR)として駅舎のある最南端の駅である山川駅に着いた。

 

近くの港から船に乗り根占港に着いたのは14時20分。そこからはバスだ。

15時22分のバスで向かった先は大泊。山の中を走るバスだった。

ここから入場料100円を払って佐多岬の先へと急いだ。

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自信なさげな顔つきだ。

1980年6月3日5時10分。スタート地点の佐多岬最南端の表示がある場所に立った。

いよいよここから日本縦断徒歩が始まる。おっとマヨ坊は感慨にふけってる場合では無い。

入場口が閉鎖される前に戻らなくては!

入り口に戻ると自分を乗せて来たバスは過ぎ去っていった。

 

 

バイクの人が現れ、ここではキャンプは出来ないぞ‥と忠告された。

教えてもらった近くの田尻浜へと歩いて移動した。

日本縦断は始まった。

 

テントを張ってから、急に寂しくなって来た。

夕闇は不安につつまれる気がする。

 

つづく